菜の花畑―歴史都市新潟研究会のブログ

歴史都市新潟研究会・杉山節子のブログです。はてなダイアリーの終了により、こちらに移ってきました。よろしくお願いいたします。

某宿題のヒント(01)

昨年度、江南区郷土資料館で開催しておりました古文書学習会の<実践編>では、同館に寄託されている『新発田領八ヶ村・御料所十二ヶ村 出入双方訴状・返答書写』という古文書集を読み進めてきました。

 

この古文書集は、新発田領の城山村(現、新潟市江南区城山)の水路をめぐって、新発田領8ヶ村と江戸幕府の直轄領(「御料所」)12ヶ村との間で訴訟となった際の関係文書を書写した文書集です。

 

昨年度は、以下の5通の文書を読み進めました。

①寛保2年(1742)8月10日、御料所側である割野組泥潟村と鵜ノ子村の名主が、江戸幕府の直轄領を管掌していた石瀬代官所新発田領側の不当の概要を報知した文書.

②寛保2年8月、御料所である割野組の村々が、新発田領側の不当の詳細を正式に石瀬代官所に訴え出た文書(訴状).

③寛保2年9月、新発田領側が①・②に反論し文書.

④寛保2年10月、③に対して御料所側が再反論した文書.

⑤寛保2年12月、④に対して新発田領側が再々反論した文書.

 

これらを受けて、第六通目に書写されている文書について、

 (1)差出の3人はどのような立場の人と考えられるか?
 (2)宛先の人物はどのような立場の人と考えられるか?
 (3)この文書は、どのようなことを伝えたかったのか?

を考えてみてください、というのが宿題でした。

 

レジュメの最後に予告した通り、回答は4/30にこのブログに書き込みますが、少しずつヒントを出していきます。

 

まずは、最初のヒントとして、第6通目の文書の全文を活字にしておきましょう。

 

一筆致啓上候、厳寒ニ御座候得共、弥御御堅固ニ可被成』
御勤役、珍重奉存候、然者、其 御支配所割野組』
村々と当領城山村江筋出入ニ付、御支配所村方ゟ之』
再答被遣、右之趣を以、当方百姓方相尋候処、』
書付差出候、百姓とも之義ニ御座候得者、相訳リ怠〔兼〕』
申候得共、一通リ写シ、掛御目候、場所之義、役人差出シ』
見分をも為致、内々可及御相談と存候処、雪中之』
義故、無其儀候、来春雪消次第、猶又御相談』
之上、役人指出シ、遂吟味、可得御意候、先達而も被』
仰聞候通、何卒内々ニ而事済候様致度義ニ』
奉存候、右、為可得御意、如斯御座候、恐惶謹言、

 十二月        奥田所右衛門<書判>
            柴山八太夫 <書判>
            坂井軍太夫 <書判>
喜多川要太兵衛様

 

この翻刻を手掛かりに、宿題を考えてみてください。